正しい判断

4月になって桜が咲いて、少しだけ時間を経て思うことを今日は綴っておこう

冬の人のした私への想いの伝え方は狡いと今でも思う。けれど、彼がした判断は正しかったとも思う

私と旦那氏との関係(セックスレス)は抜きにして、私と冬の人の関係・・・

冬の人はいずれか東京に戻るであろう人だった

長い目で見た時に私達はどんなにお互いを思っていても大きく互いの関係を、そして環境を変化させるのには大きなハードルがあったと思う

彼もそれは充分に分かっていたと思う。そして私が愛を伴う関係を求めていたことも分かっていた

冬の人は小学生と保育園児の二人の子どもの父親で、その役割と責任を担っている。それは紛れもない事実

私は仮に冬の人が役割と責任を平気で手放すような人だったら、好きだという気持ちを継続できなかったはずだ

それは矛盾だらけだけど、私は女であり妻であり母親で、冬の人の男であること夫であること父親であることも同時に知っているから

不倫は落とし所が難しいし、正解はない

私の旦那氏は娘をとても可愛がっていて、驚くほど子煩悩な人だ。だから私はひとりで出かけられる

もう少ししたら娘と過ごせる時間が減るかもしれないからと全力で娘と過ごす

それは私の父も同じだった

冬の人が言葉の通り、自分の子どもたちとの時間を選んだのならそれは元の正しい形なのかもしれない

その昔、私は母に聞いたことがある

「何故、子どもは男と女がいないと誕生しないのだろうか?片方だけでもいいのに、いつまでたっても対にならないといけないなんて不思議だな」

母はこう答えた

『出産だけじゃなくて子育てもそうなのよ。父親と母親が担うものがあって片方だと補えないの。命が誕生する時と同じなのよ』

シングルファーザーやシングルマザーの家庭を差別しているわけじゃないし、対になっていても完璧ではない

それでも母親の言いたいことは少しだけ分かる気がした

私は好きになって抱かれる人の最後の女になりたいといつも思う

私は冬の人の最後の女だったのだろうか?最後のセックスはすごく前のことになっていてうる覚えだった

しっかりと覚えているのは二人で笑ってレモンビールを飲んだ夜のこと

私はセックスが目的だけれど、いつだってその為の手段に重きを置きがちで、それは心がアンバランスになってしまう理由でもある

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